早稲谷のシャガ
水源の里 市茅野のシャガ
早稲谷のシャガ
著者は父の仕事の関係で早稲谷で育った。その回想である。
本書では八反滝が、重要な心象風景の扉、すなわち人間世界とその外部、動物や神の世界との境界として、また子どもから大人への通過儀礼すなわち僻地と思っていた早稲谷が自分の人生を形成した揺りかごとして再認識される契機として、登場する。
それにも増して注目されるのは弟が山中に荒れた墓石を発見していることで(42頁)、林業会社の進出以降の墓石であればそれまでだが、木地屋の墓が深い深い山中にある話は随所で知られる。
今の府道から古和木・早稲谷に入るあたり(有安・八代)に往古、吉忠卿という高位の人物が流れつき、その家臣として早稲谷左近という者があって帰農して百姓となり、左近の家には代々、白木の鉢を沢山相続していて木地屋の子孫といっているという趣旨の話が江戸時代の『丹波志何鹿郡部』に出てくる。
ここでの大胆な推測は、42頁で発見された山中の墓は、木地屋の墓ではないかというものである。