水源の里 市茅野のシャガ
綾部市老富町と福井県高浜町との境界にある丸山の柱状節理
丹波志何鹿郡部という江戸時代の文献(綾部の地誌)に「サントラ山」「サントウ山」などの記載があるが実体が不明であった。
福井県側で発行された郷土史文献『郷土史青郷』に「山腹に巨岩があって、形が米俵のふたの「さんどら」に似ているので「さんどら岩」」という記載があったことから、文書の翻刻としてはサントウでなくサントラ(俵の蓋である桟俵[さんだわら]にもとづく)が正しいと判断できた。
現地確認により、柱状節理(もしくはさらにそれが板状に剥離したもの)を古人が桟俵に喩えたものという感触を得た。
ピーク545メートルの東面にある柱状節理は多角形(五~六角形)をなし、俵に喩えられるように縦長であるが、軸に対して直角方向にも剥離し(板状節理)、円盤状の薄い破片も見られた。この形状は文字通りさんだわらに近い。
この地点は、海洋地殻に由来すると考えられる夜久野オフィオライトの中にあるが、陸上でなくとも柱状節理の形成される場合はあるようだ。ひとつは水に接しない地下の亀裂への貫入であって岩床(sillシル)や岩脈(dykeダイク)と呼ばれ、地下なので均等に冷却されやすい(sillは地層に対して並行な貫入の場合、dykeは地層を貫く貫入の場合)。もうひとつはシート・フロウsheet flowといって海底であっても急速かつ大量に噴出した場合であり、水に近いほうから冷却されていく。ここでいう「さんどら岩」が均等に冷却されているかどうかが注目されよう。
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/intridgej/CyprusReport2.pdf
http://izugeopark.org/maps/area-shimoda/tsumekizaki/sim0203/
【文献】
■『丹波負笈録』の「市茅野村」の項
「市茅野大唐内二谷の奥サントラ山若州と両境 サントラ山ハ俵積し如 丸石ありて一俵宛の如 是ヲサントラ岩と云 俗ニ小浜の市ハ是を見る故繁盛すと云 丹波の方に二ツの鬼の穴と云あり 岩を積重ねたる岩穴入口四尺許 二里許奥に入りて戸口あり 是より奥へ行人なし 今は口を破て入口なしといふ 三俵山は海上目当の山なり イモリケ嶽と云」(綾部史談会版『丹波志何鹿郡部』83頁)
■稲庭正義『若狭國志』
「生守[イモリ]山 在関屋村以南山巓有巌窟山腹有巨石土人称苞[タハラ]石形若積穀苞然矣」(若狭学術振興会版『若狭國志』巻第三)
■『郷土誌青郷』(2002)
「生守山(猪森岳)関屋区にあり絶頂に岩窟あり、また山腹に巨岩があって、形が米俵のふたの「さんどら」に似ているので「さんどら岩」と言っている」(353頁)