水源の里 市茅野のシャガ
舞鶴市のWEB(ソースは『広報まいづる』)に行永の龍勝寺のことが紹介されている。
綾部の白道路出身の由里滴水が龍勝寺で修行したことのほか、龍勝寺の「阿弥陀如来」「勢至菩薩」「観音菩薩」の3体の仏像が「胡麻峠にあった密教寺院から移された伝承を持つ」と記されている。
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/contents/7d34120e0e183bb/7d34120e0e183bb17.htm
(追記:現在はリンク切れ)
また舞鶴市郷土資料館企画展示「舞鶴の山城」(2009年4~6月)の「亀岩城主上羽氏」に関する展示解説文にも「龍勝寺の阿弥陀堂は上羽氏が平和を祈願して胡麻峠から勧請したと伝えられています」とあった。
「胡麻峠にあった密教寺院」とはどこであろうか。
胡麻峠の鞍部、首無地蔵の背後に数メートル四方の平地がある。
ただその広さは祠ひとつ程度であり、「密教寺院」が入るほどではない。
大唐内から胡麻峠を越えた道は、標高360メートル付近で黒部道と与保呂道に分かれる。
地図を見るとこの二俣の北、標高270~280メートル付近に平坦な土地がある。
これは地すべり地形である。(地すべり地形分布図データベース)
この平地を見に行くことにした。
胡麻峠の大唐内側は谷道であり、谷底の徒渉も何度かある。
標高470メートル付近で谷を離れ、6回切り返して峠に至る。
峠に「胡麻峠524メートル」の看板がかかっている。この524メートルは胡麻峠の南方にあるピークの標高である。
峠を越えると植林の斜面のなかで道が崩れがちになっている。
さらに降りていくと時折、旧道が新道の上側(東側)に残っているのが見える。
大栗峠などでは道が蛇行しながら尾根を刻んでいたが、この道は尾根をそのままストレートに降りていく。
西には養老山の山脈が見える。
やがて黒部・与保呂分岐の二俣である。ここから北に黒部道を降りる。
地すべりの滑落崖を降りる道は3回切り返す。
すると植林のなかで斜面の勾配が変わり、道がふと平坦になる。
道は平地の中を盛土の道となって続いているのである。
そして平地を通り過ぎると道はまた斜面を降りていく。
平地では道の西側にも東側にも段状の地形がある。
道は平地の西端近くを通過しているから、道の東側の部分のほうが広い。
そしてこの道の東側の部分では、段状地形に石垣が施工されている。
この遺構の実質が何であれ、ともかく人工のものであることは確かであろう。
大雑把には広さ100メートル×50メートルの平地で、やや東側が低くなるように傾斜している。
平地の東端のあたりでは石垣より下部に1メートル未満の段がもうひとつあることがわかる。
この平地を南北方向に区切るのは胡麻峠の峠道だけである。
東西方向には区切るのは段状地形で、2~3段あり、緩やかな棚田状である。
ともかくこの平地は東西方向が圧倒的に長く広い。