京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

巡礼の道としての大栗峠

Ooguri-touge Pass for the Pilgrimage


 

 

 

 

 

 

大栗峠

巡礼の道としての大栗峠

大栗峠は日本海の魚を運んだ街道として知られています。

ただ大栗峠を歩くと、数ある石造物などから、信仰の香りの強い峠だということも感じます。

阿波の国の行者・長治良らが文政7年(1824)に建てた真言宗の石碑(南無大師遍照金剛)や道標は、他の峠にはない独特の存在感を放っています。

成程と思ったのは、丹波三十三箇所霊場めぐりのルートが江戸時代には形成されていて、和知町下粟野の寿命山明隆寺から大栗峠を越えて、上林の寺院に参る仕組みになっていたらしいことです。

文化四年(1807)に改訂された『丹波西國三十七所道中記』という古文書が、奥谷高史『丹波の古道』綜芸社1980に復刻されていました。いわば霊場めぐりの道案内です。道案内が出るくらいですから、それなりのニーズがあったのでしょう。(但し同書で「せいこう」に西股と注しているのは、勢期と思われる)

    「廿七番 船井郡下粟野村妙龍寺

    あらとふと しゆめう[引用注:寿命]の山は道涼し ふもとの波はのりに響きて
    是より廿八番上林君尾山へ三里 上粟野村より左の谷へ入り道分けある所より又左へ行
    大くり峠上り三十町ほどむね[引用注・みね?]より右へ志古田村へ下る道悪しけれども小浜辺の魚荷も通る
    志古田村出口大橋を越え右へ行 山内村より十八町上り也」(奥谷116頁、下線引用者)

    ※追記:この『道中記』の当該箇所は『上林風土記写真集』11頁に古文書のかたちのまま掲載されている。

これで、大栗峠にある信仰の香りについて何となく得心がいくような気がします。『道中記』に札所として掲げられている上林の光明寺、善福寺、日圓寺、そして上杉の施福寺、いずれも真言宗です。

そういえば大栗峠の上林側から、上林谷を隔てて光明寺が見える地点がありました。峠を越えると次の札所が見える。そのような景観デザインになっていたようにも思われます。

もちろん、『道中記』に「小浜辺の魚荷も通る」と記されていることも印象的です。霊場めぐり、魚街道、村々の交通。このような多様な機能を果たすものとして峠は存在していたようです。