京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

趣旨

About

このサイトの趣旨

本棚にあった『北山の峠』。

それを眺めながら、紹介された峠を訪問したいという思いが生まれ、しかしなかなか思うようには進まない日々が続いた。

それでも少しずつ撮りためた写真がなくはない。

少しずつ掲載していきたい。

鹿による笹の減少(たとえば『北山の峠』に掲載された洞峠の写真と、今の洞峠の様子はかなり違う)、林道工事などで、予想以上に姿が変わっているところもあることだろう。

一方で、昔に近い古道が息づいているところもあることだろう。

洞峠

「もうひとつの鯖街道」福谷坂峠

明治二十年代に測量・作図された陸地測量部の旧版地形図(二万分一)は当時(19世紀末)の、もしくは江戸時代以前の古道を推定するよすがにもなる。

しかし『北山の峠』では旧版地形図をあまり参照していないようだ。

著者が旧版地形図を参照していれば……と感じる局面もある。

ここでは陸地測量部の旧版地形図から得られる情報を『北山の峠』の記載と照合することも行なう。

著者が迷走していると思われるところもある。

『北山の峠』(中)では丹波越の久良谷上流部について「こんな急な谷に峠道が作られるはずがない」(224頁)として除外し、それ以外に峠を探して、桑原とミゴ谷とをつないでいる。

品谷峠については、国土地理院の地形図で一時期、本当の品谷峠よりひとつ東の鞍部が品谷峠として記載されていたことがあった。そのためなのか、峠の位置や、佐々里側の道についての記述は、迷走しているように感じられる。

福谷坂峠(「この峠は昔の峠を車道に改造したものらしく」と記すのだが)と、石山坂峠については、旧版地形図から得られる峠の位置の情報と、『北山の峠』が記す峠の位置が、合致していないように思われる。(小畑登『峠越え-西の鯖街道』では、石山坂峠については旧版地形図の通りの認識だが、福谷坂峠については『北山の峠』と同じ認識である。)

こうしたことを含め、検証していきたい。

佐々里峠

佐々里峠