京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

「おぐに峠にて西ノ方を見やりて」

Local Haiku Poets on the Ooguri-touge Pass


 

 

 

 

 

 

大栗峠

「おぐに峠にて西ノ方を見やりて」

和知のある家に、以下のような俳諧を記した切り紙が残されているという。江戸時代のものらしい。

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上林君尾山にて

山の色ハ光明自然の餘徳哉 因水

それなりの霜よ念珠を操かへせ 雲水

 

堀尾の谷にて

山道の枝取にがす紅葉哉 因水

霧も二筋谷も二筋 雲水

 

おぐに峠にて西ノ方を見やりて、鬼が城とかいふをきゝて

身に入(しむ)や鬼が城より吹あらし 雲水

『和知町誌 第一巻』(1995)746-747頁

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光明寺のある「上林君尾山」には、和知から川沿いでなく峠を越えて行ったものだろう。

堀尾の谷は、和知町西河内養立であり、養立に堀尾という地名があって、上林の浅原から養立に越す峠を堀尾峠という。

おぐに峠は大国峠(大栗峠)であり、鬼が城は福知山の鬼が城である。

和知町誌第一巻は

「作者、因水・雲水はいかなる人物であるかは不明である。断片的な資料ではあるが、こうした作品が書き留められていたことは人々の間で俳諧がたしなまれたことを物語るものである」(747頁)

と解説している。

「霜」「紅葉」「あらし」などの心象から、いずれも寒い秋に詠まれたものであるように思う。「山の色」というのも、山が色づいていたのかもしれない。何気ないようでいて心に残るのは、「山道の枝取にがす紅葉哉……霧も二筋谷も二筋」である。霧を見下ろせる山中で(場合によっては堀尾峠の道で)詠まれた可能性もあろう。

大国峠から鬼が城が見えるかは知らない。しかし身に沁みるような嵐がどこから吹いてくるのが相応しいかといえば、鬼が城という厳しい心象がもっとも叶う。

雲水とは(禅宗の)修行僧を意味することもあり、行雲流水という言葉もある。いま知ることができるのは因水・雲水というペンネームのみであるが、俳諧を紡ぎながら飄々と和知と上林を結ぶ山道を行き来していた先人たちの姿が瞼に浮ぶのである。