京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

大栗峠から古峠まで歩けるか

大栗峠から古峠まで歩けるか


 

 

 

 

 

 

大栗峠

『山家史誌』(1987)に、

「兎に角昔は尾根伝いに往き来していたらしく越前から甲ヶ峯まで尾根伝いで来られるという」(437頁)

と書いてある。

大栗峠から尾根を西に歩いてみた。

大栗峠へは山田道を採る。「迷ワン」という謎の道標の地点から山腹を這い上がっていく。

国土地理院の地図にある点線は正確でない。

尾根に達すると道は何度もS字型に尾根を刻んでいる。

この尾根を見ていると、道にも世代があることが推定される。

尾根を直登する道もあり、それをS字型の道が上書きしているように見える。

途中、西側の斜面に、ダストシュートのように急な掘れ込みがあった。

その傾斜は斜面を直に下っていて、人が道として歩くには急すぎる。

ひとつの可能性は、伐採した樹木をこの溝を用い滑り台のようにして搬出していたということである。

やがて「南無大師遍照金剛」に再会した。この石碑に限らず、昔の人は非常に思い石造物を山の上までどうやって運び上げたのかと思ってきたが、よく考えると牛や馬を使う手もありそうだと思えた。

展望台のようなユリ道を経て大栗峠に到着。

峠の東側には平たい土地が少しだけある。茶店があったとすればここだろう。

峠からまず、大栗峠の頭(681.4m)へ。それから西南に下降した。この尾根は上粟野と浅原の間にある。

小規模な上り下りを繰り返したあと、「703m」へ。きつい登りである。いったん降りたあと、「643m」に登り返す。

「643m」から下ると堀尾峠である。ややあってタラ坂(忠峠)。

「619m」の急斜面を登ってから降りると、田ノ向林道完成記念碑である。

ここからは林道を西へ。稲葉坂、犬越峠を経過する。

犬越峠から林道を上って鉢伏山(626m)へ。

そこから尾根を西北にたどって、古峠に達した。

尾根の半ばから古峠までは掘れた旧道があった。

広瀬の甲ヶ峯へは古峠からも尾根を進まねばならないが、古峠から釜輪に降りた。

大雑把に15~20kmであった。

もとより越前から甲ヶ峯までではなく、大栗峠から古峠までだけであるが、歩けることは歩けたのだった。