京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

落武者の道としての大栗峠

The Fleeing Soldiers on the Ooguri-touge Pass


 

 

 

 

 

 

大栗峠

落武者の道としての大栗峠

落武者といっても、幕末の話ですが。

和知町教育委員会発行『和知の古老談』(1987)の巻末年表、慶応四年(1868)1月のところに、「鳥羽伏見の戦いがおこり、福井小浜藩の落武者多数が、草尾峠や大栗峠を越えて帰藩する」とあります。

小浜藩は官軍でなく幕府側でした。

『和知の古老談』の本文のなかから、対応する情報を紹介してみましょう。

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A 当時は、上林方面への往来はどうでした。
B 昔は、明治前は若狭へ通じる峠街道ですでね。よう通りよったそうですわ。あの鳥羽伏見の戦いに若狭の殿さんが負けいくさで、あの峠をたくさんの落武者つれて通ったちゅう話です。それで、どんな事しられるか分らん言うて、みんな家の大戸をしめて一歩も外へ出るなちゅう御触が出たちゅうて、年寄がよく言うてくれました。
C 怪我した武士も通るんで、恐いもん見たさで大戸をそうっとあけては覗いて見とったいう話も聞きました。
A それは大栗峠のことですね。
B まあ、若狭街道いうてネ。裏日本から京都へ出る一つの街道ですわな。それで、坂道はあってきついですけど、昔でも二メートルぐらいの道はばはありましたでな。そして、頂上付近には茶店なんか休む場所もありました。それから、板戸の地蔵はんいうのが川淵まで下りてきた所にあって、それも休憩場の一つでしたな。長谷の入り口にも茶店があってうどんやら売っとりましたそうですわ。
でもまあ、私たちは、そういう昔の話を聞くだけ位いですが、街道の守りには若い頃からずっとよう行きましたな。春と秋とは、上粟野はずっと村用で道掃除に出たもんどす。峠の向側は志古田と弓削の人たち(綾部市)がずうっと又、道掃除してくれとりました。上林とは隣りみたいなもんで昔からの縁組みで親類も多かったんですわな。
C ほんまに細谷でも上粟野でも、つい最近でもけっこう縁組みがあったさかいな。
A もう一つ、西河内の奥を越えるのもありましたな。
武吉峠といったんですかな。
D あれもよい峠道やったんですわ。口上林へ出るんですね。私も金比羅参りには今でもあの峠を越します。しかし、話を聞くのに昔からの本式の街道は、やっぱり大栗峠の方のようですな。ほんでもう、米のない時に上林から買うお米はあっちから運んだといいます。私の家も以前酒屋していたのに、酒米は上林からあの峠を越えて来よったと言いますでね。
B 私の親父らの時代には、田辺々々よう言いましてけっこう行きよったもんです。今の舞鶴ですなあ。行きしは山でとれるもんをちっと持っていくなり、帰りがけは、秋の漬物時になると四貫入りの塩を二俵、天びん棒の両はしに差して担いでもどりよったもんですわ。昔のもんは元気でしたから、坂を二つ越して舞鶴まで往復するぐらいはへッチャラでしたんやなあ。
E 昭和初年でも、「弁サン」とか言う魚売りのおじいさんが前後に魚行李を二つずつ担ってダシ雑魚だとか干物、ヘシコなどをいっぱい持って、毎年行商に釆たのを憶えていますねえ。小学校入学した時分(昭和四年)まではね。祖父がその煮干しがお気に入りでした。大浦の方と聞きました。

和知町教育委員会発行『和知の古老談』(1987)73~74頁
※ただし個人名はアルファベットに置き換えた

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「若狭の殿さんが負けいくさで」というのが小浜藩の敗軍のことでしょう。

大栗峠の有名な石仏は慶応元年、すなわち戊辰戦争の数年前のものですから、まだ真新しいこの石仏の前を小浜藩の兵たちは通り過ぎたのかもしれません。

大栗峠に向かう敗残の兵と、それを恐る恐る見守る村民。峠の茶店。上林との縁組。峠を越える米や魚。

古老からの聞き取りを文字化した、豊穣な言葉の記録の一部です。

なおこの帰藩ルートについては『和知町誌』第二巻(1994)6~7頁も参照ください。

また伊藤勇『わかさ高浜史話』(若狭史学会1973)に「上林峠と貝坂」として以下の記述があります。

「明治元年鳥羽・伏見の戦には小浜藩は佐幕派に属したが、戦い利あらず敗戦の士が参々伍々赤毛布(ケット)をかぶって一目をしのんでこの道を逃げ帰った。この時初めて住民はオランダより渡来した赤毛布の羅紗を見たという」(伊藤58頁)。

この上林峠はおそらく猪鼻峠のことですから、大栗峠を越えたあとは猪鼻峠を越えたというルートが想定できます。